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♪ 知りたい・見たい・聞きたい・やってみたい・こうなった!

風呂場の釜焚き(9)

今日から釜炊きをやらなきゃ~

6年前だったかな~この港町で銭湯を始めたのは、義父が言ってたもんな~ここには港湾労働者が多く働いている、仕事を終えれば風呂に入りに来るから、銭湯はやってゆけるはずだと・・そして本業とは別に銭湯を始めることになった。

釜焚きの燃料は廃材と重油を使い分けてお湯を沸かす、重油はバルブで量を調整しながら送れば良いので楽だ、縦長の丸タンク上部に水槽があり、下から火を焚き付けて水温計と火加減を見計らって火を焚いたり、止めたりを繰り返す。

番台に座ってる者が時折り湯舟を見て、湯舟の水量が減ればブザーボタンを押す、、アッ来たな~今度は男湯だ~と太いパイプに取り付けられたバブルを緩めて熱湯を送り出す、これが釜焚きの役割になる

開業時を思い出した・・入りきれない程にお客さんが来る日があった、プロレスだ・・テレビ中継が始まる頃には脱衣場は身動きが取れないほどになる、力道山が空手チョップで反撃を繰り出そうものなら・ウワッ~と歓声が上がる、庶民にとってイイ憂さ晴らしになる、14インチの白黒テレビでも一般家庭では手が出ない時代だったのでテレビが客寄せパンダになっていた、この風呂場の情景はまさに絵に描いたような昭和の風物詩そのもの・・

営業は15~23時だが、終えてからが闘いになる、湯舟・洗い場・脱衣場の掃除が始まる、特に湯舟はお湯を抜いても熱は残ったままでサウナ状態になっている、その時に洗えば水垢も取れやすい、タワシに石鹸をつけてでゴシゴシと全体の垢を落とすのだが全身が汗ダクに、、まあ~疲れる・・それにしてもは母親は良く働く人だった

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浴槽の中・洗い場・脱衣場までを掃除するのだが深夜までかかる、それが毎日なのだが愚痴の一つも聞いたことがない・その側でいつも通りに義父は木製の風呂桶と椅子を洗えばそれで終わり、まるで子供のお手伝いのようだ・・

風呂屋は家族経営みたいなもの、番台には交代で座るのだが、少年期に初めて座った時はマジで恥ずかしい・・嫌でたまらない思いをした、恥ずかしくて見たくなくとも視界に入ってしまう、、こんなことが長期に続くといつの間にか女性の顔を見れば、濃いか・薄いかの判別ができるようになっていた、そんなことは知らなくてもいいのに・・

釜焚きも慣れてくると結構時間を余すこともあるので、今、何が出来るかと考えた、東京でバーテンダーをやってる時にお客さんとの会話に戸惑うことが多々あったので、小さな国語辞典を買って目を通すことにした、先々にこれは役に立ったような気がする。

 

実家に戻ると”重い出来事”を思い出してしまう・・生まれは北九州の門司港だったが、父親は2才の時に病で亡くなり、3才上の姉ちゃんとおいらを母が育ててはいたんだが、生活苦もあって7才の時に再婚で博多に来た、義父は銅・真鍮・アルミ金属等を回収して合金会社に納入していた、

義父は酒飲みだった、小学3年生の時に6年生の姉ちゃんと二人で日本酒とビールを買って来いと云われ1Kmほど先の酒屋に行くことに、その帰り道だった、一升瓶とビールで10kg超えのカゴを片方づつ持つが子供には結構重い、季節は梅雨時で大粒の雨が降り出していた、姉ちゃんはキツそうだった、重さに疲れて、つい道端の電柱の支線(電柱を支えるワイヤー線)を握ってしまった・・

その瞬間に握った手が支線にくっついて離れなくなったのだ、おいらはビックリして支線にくっついた姉ちゃんを放そうと片方の手を掴んで引っ張っろうとした時、ビビーンと強烈な電流が流れて転げそうになった、

ウワッ~、、誰か、誰か、呼ばなくちゃ~走った走った、近くの魚屋さんに駆け込み、おじさんにしどろもどろで言った、お姉ちゃんが電線にくっついてる~すぐ助けて~助けて~~、おじさんがゴムの手袋を持って現場に向かい、支柱から引き離したときには、もうお姉ちゃんは動かなくなっていた、、

おいらは泣きじゃくりながら家に向かって走る、走る、

母に伝えた・・・母は三日三晩放心状態で泣き崩れる・・その姿は今も残像として想い浮かぶ、、

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